ヒーリングができる看護師に会いたいと言われて|大学病院を辞めた日からの13年

ヒーリング

大学病院で救命救急や手術室、ICUに立ち続けた日々。

緊張と責任に追われる中で、私の人生はある一つの出来事で大きく変わりました。

それは長男の不登校、そして「ヒーリング」との出会いです。

医師の許可を得て患者さんに手を差し伸べたその行為は、

やがて私を退職へと導く大きな転機となりました。

私は長年、大学病院の救命救急や手術室、ICUに勤務していた。

その中で、救えた命もあれば、救えなかった命もある。

毎日が緊張と責任の連続で、心も体も限界に近づいていた。

そんな時、長男が突然、不登校になった。

家に閉じこもり、いつ自殺してしまうのかという不安と恐怖の中で、

母として、看護師として、どうすればよいのか分からなかった。

それでも、精神科の薬だけは使いたくなかった。

救命の現場で、10代の子どもが過量服薬で運ばれてくる姿を何度も見てきたから。

そんな時、主人の知人から「ヒーリング」というものを教えてもらった。

その力を手にした瞬間から、私の人生は大きく舵を切った。

ヒーリングを学び、家族に施術をするうちに、

長男の表情が少しずつ柔らかく変わっていった。

その変化を見て、私は確信した。

いのちには、本来“癒える力”がある。

病院の中で、許されなかった癒し

やがて私は、医師の許可を得て、患者さんにもヒーリングを行うようになった。

痛みが和らぎ、笑顔を取り戻す姿を見るたびに、確信は深まって行った。

患者さんたちの間で噂になったらしく、「ヒーリングのできる看護師に会うにはどうしたらいいか」と、問い合わせの電話がかかって来たらしい。

「もっと多くの人に、この癒しを届けたい」と思った。

けれど、それは病院の中で働く、看護師の枠を超えていた。

看護部長に呼び出され、何度も注意を受けた。

それでも、目の前で苦しむ人に手を差し伸べずにはいられなかった。

退職を決意したのは、看護部長の一言だった。

「あなたが痛みを取っても、お金はいただけないのよ。」

その瞬間、心の奥で何かが静かに壊れた。

制度の中では、いのちの苦しみに“無償で手を差し伸べる”ことさえ認められない――。

私は、自分の信じる「癒しの看護」を貫くために、退職を選んだ。

あの日から13年

あの日を境に、私の人生は大きく動き始めた。

4年間、統合医療のクリニックで月に140人以上の患者さんをヒーリングで支えた。

今は、両親の介護のために地元に戻り、包括病棟で認知症の患者と向き合っています。

今もなお、いのちと心、そして魂を見つめながら、

「癒しの看護師」として歩き続けている。

💠 まとめ

西洋医学も、ヒーリングも、どちらも人を癒すためにある。

大切なのは“方法”ではなく、“想い”だと思う。

私の退職を惜しんでくれた、ICUの師長の言葉を胸に、

「誰かの痛みに寄り添うこと」を、静かに続けている。

そして今は、やりたいことのために、時間とお金を同軸で作れるWeb5を、awabotaの小野和彦さんのもとで、仲間たちと共に学んでいます。

新しい時代の“癒しと生き方”を、これからも探し続けていきたいと思います。