大学病院で救命救急や手術室、ICUに立ち続けた日々。
緊張と責任に追われる中で、私の人生はある一つの出来事で大きく変わりました。
それは長男の不登校、そして「ヒーリング」との出会いです。
医師の許可を得て患者さんに手を差し伸べたその行為は、
やがて私を退職へと導く大きな転機となりました。
私は長年、大学病院の救命救急や手術室、ICUに勤務していた。
その中で、救えた命もあれば、救えなかった命もある。
毎日が緊張と責任の連続で、心も体も限界に近づいていた。
そんな時、長男が突然、不登校になった。
家に閉じこもり、いつ自殺してしまうのかという不安と恐怖の中で、
母として、看護師として、どうすればよいのか分からなかった。
それでも、精神科の薬だけは使いたくなかった。
救命の現場で、10代の子どもが過量服薬で運ばれてくる姿を何度も見てきたから。
そんな時、主人の知人から「ヒーリング」というものを教えてもらった。
その力を手にした瞬間から、私の人生は大きく舵を切った。
ヒーリングを学び、家族に施術をするうちに、
長男の表情が少しずつ柔らかく変わっていった。
その変化を見て、私は確信した。
いのちには、本来“癒える力”がある。
病院の中で、許されなかった癒し
やがて私は、医師の許可を得て、患者さんにもヒーリングを行うようになった。
痛みが和らぎ、笑顔を取り戻す姿を見るたびに、確信は深まって行った。
患者さんたちの間で噂になったらしく、「ヒーリングのできる看護師に会うにはどうしたらいいか」と、問い合わせの電話がかかって来たらしい。
「もっと多くの人に、この癒しを届けたい」と思った。
けれど、それは病院の中で働く、看護師の枠を超えていた。
看護部長に呼び出され、何度も注意を受けた。
それでも、目の前で苦しむ人に手を差し伸べずにはいられなかった。
退職を決意したのは、看護部長の一言だった。
「あなたが痛みを取っても、お金はいただけないのよ。」
その瞬間、心の奥で何かが静かに壊れた。
制度の中では、いのちの苦しみに“無償で手を差し伸べる”ことさえ認められない――。
私は、自分の信じる「癒しの看護」を貫くために、退職を選んだ。
あの日から13年
あの日を境に、私の人生は大きく動き始めた。
4年間、統合医療のクリニックで月に140人以上の患者さんをヒーリングで支えた。
今は、両親の介護のために地元に戻り、包括病棟で認知症の患者と向き合っています。
今もなお、いのちと心、そして魂を見つめながら、
「癒しの看護師」として歩き続けている。
💠 まとめ
西洋医学も、ヒーリングも、どちらも人を癒すためにある。
大切なのは“方法”ではなく、“想い”だと思う。
私の退職を惜しんでくれた、ICUの師長の言葉を胸に、
「誰かの痛みに寄り添うこと」を、静かに続けている。
そして今は、やりたいことのために、時間とお金を同軸で作れるWeb5を、awabotaの小野和彦さんのもとで、仲間たちと共に学んでいます。
新しい時代の“癒しと生き方”を、これからも探し続けていきたいと思います。

